松田 周作
MATSUDA SHUSAKU
松田周作建築設計事務所

趣味:
わかりやすく シンプルに 普遍性のあるもの おだやかな”光” 素材としての”色” 色としての”素材” 明るくて おおらかで 凛とした佇まい
代表作品
建築家になったきっかけ
クライアント様へ
多く手掛けた設計対象
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多く手掛けた雰囲気
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多く手掛けた敷地条件
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最も多く手掛けた価格帯
優先項目
2720 Japan O.K. ロータリーEクラブ「宅話」
「建築」と「建築家」の可能性を求めて
松田 周作 会員
(2720 Japan O.K.ロータリーEクラブ:奉仕プロジェクト委員会 委員)
1.自己紹介
皆さんこんにちは!
2720JapanO.K.ロータリーEクラブ会員の松田周作と申します。
大分市中心市街地・府内五番街(若竹ビル)を拠点に、建築の設計・デザイン、および、家具の設計・デザインを行っている松田周作建築設計事務所を主宰しております。
建築家という職能を通して、大分固有の豊かで優れた建築や建築文化の継承(発見・発掘)と、創出・発展に貢献したいと考えています。
プロフィール | 松田 周作 | まつだ しゅうさく
- 1979
- 福岡県 生まれ
- 1998
- 西南学院高等学校 卒業
- 2004
- 熊本県立大学 居住環境学科 卒業
- 2006
- 熊本県立大学 大学院 修士課程 修了
- 2006
- 北川原温建築都市研究所 研修生
- 2009-10
- SITE ( 齊藤祐子氏 )
- 2011-12
- 妹島和世建築設計事務所 / SANAA 研修生
- 2012-
- 松田周作建築設計事務所 主宰
日本建築家協会(JIA) 正会員(登録建築家)|http://www.jcarb.com/Portfolio00006190.html
+A(JIA 大分地域会 協力若手建築グループ) 代表
大分県建築士会 正会員
松田周作建築設計事務所|http://shusakumatsuda.com
作品掲載インスタグラム|https://www.instagram.com/shusaku_matsuda/
今回、初めて卓話をさせて頂きますが、自身が取り組んできた「建築家を志した建築の学び」と「建築家の職能を通した社会貢献」について お話ししたいと思います。
どうぞ 宜しくお願い致します。
2.書と建築 | 「余白の美としての書」から「空間の美としての建築」へ
私は福岡市内で生まれ、物心ついた頃には、茅乃舎やコストコで知られている久山町で育ちました。
医学の分野では「久山町研究」でも有名ですし、九州のお伊勢さま・伊野皇大神宮の付近は、ゲンジボタルの生息地でもある自然豊かな地域です。
父は福岡市内の街っ子でしたが、小学校の遠足の地・久山町猪野が、余程、魅力的だったようで、久山町猪野に住むことが夢となり、それを実現させました。
また、父のその頃の小学校の恩師・福永周作先生がとにかく大好きで、両親の結婚の仲人であり、現在まで家族ぐるみのお付き合いが続き、私の名前の「周作」も、故・福永周作先生から頂きました。
物心ついた頃には、自身の祖父は亡くなっており、私にとっての大先生であり、祖父のような存在です。
その福永先生は、自身にとっての美術・芸術分野への造詣や人格形成に、最も大きな影響がありまして、「書」と向き合うことになります。
西南学院高等学校時代に、山口裕史(蝸牛)先生が指導する書道部にて「何紹基」の臨書をしている頃に、「二次元の余白の美としての書」から「三次元の空間の美としての建築」に進みたいという想いが湧いてきました。
「建築家を志す」という想いを福永周作先生にお伝えすると、福永先生自身が祖父から「建築家」を勧められていた話をしてくださり、「建築家となる」ことを後押ししてくださいました。
その時に、福永周作先生が授けてくださった言葉が、老子の「和光同塵」という言葉でした。
自身が建築家として生きる上で、生涯、向き合う大切な言葉です。
3.熊本と大分での建築の学び
建築は、熊本県立大学で、学部/大学院と学びました。
熊本県には、大分出身の世界的建築家・磯崎新氏が初代コミッショナーを務めた「くまもとアートポリス」がありまして、多くの優れた建築家の作品群に触れることができました。
学部時代の研究は、建築家としての藤森照信氏を対象として、当時、大分県長湯で建設中のラムネ温泉の焼杉や銅板のワークショップに参加しておりました。
大学院時代は「岡本太郎建築歌論」と題し、建築界における岡本太郎(1911-1996)の功績を研究しました。
現在、リニューアルオープンして話題の「太陽の塔(1970)」は岡本太郎の建築作品のひとつと考えております。
当時から、大分市美術館の菅章館長には、大変に、多大に、お世話になっておりまして、アートプラザでは、磯崎新さんと岡本太郎氏についてお話しさせて頂く機会にも恵まれました。
また、当時は岡本敏子さんもご健在で、岡本太郎記念館にて「建築界における岡本太郎」について、敏子さんのお話をお伺いする機会にも恵まれました。
ちなみに、岡本太郎の祖父は、北大路魯山人(1883-1959)の書の師匠で、書家・岡本可亭(1886-1948)です。
同時代の書家に、国会議事堂の「貴族院」「衆議院」、平安神宮の応天門の扁額「應天門」などを揮毫した太宰府の宮小路康文(浩潮)(1800-1899)がいます。
宮小路康文(浩潮)が自身の曾祖父であることを知ったのは、結婚の松田家への報告の折でした。
4.東京での建築の学び
大学院を卒業して、東京に出て、東京芸術大学の建築の教授・北川原温先生の設計事務所に、研修生として受け入れて頂きました。
所員の方によると、研修生となる希望を申し入れたとき、先生が、書家が来たとおっしゃったとか。
北川原事務所の近くの神宮前には、日本建築家協会(JIA)の建築家会館があり、セミナーやレクチャーを拝聴し、建築家という職能と使命を学び、将来は建築家協会(JIA)の正会員/登録建築家になるという強い決意を持ちました。
2016年に世界遺産になった上野の国立西洋美術館(1959)の設計者は20世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエ(1887-1965)で、日本人の弟子3名いて、前川國男(1905-1986)、坂倉準三(1901-1969)、吉阪隆正(1917-1980)がいます。
その3名で、熊本時代から縁のある吉阪隆正に興味を持ち、著書『吉阪隆正の方法』の著者・齊藤佑子先生に師事しました。
吉村順三(1908-1997)の系譜の方々との交流の機会もあり、吉村順三記念ギャラリーにもよく通いました。
次に、生活費の為のダブルワークでNHK渋谷アーカイブスに協力社員として働きはじめると、SANAAのオープンデスクをご紹介を頂きました。
当時、妹島和世さんと西沢立衛さんがプリツカー賞を受賞されてNHKが取材していたこと、慶応大学を退官されてアルバイトの制度ができたことなど、数々の幸運の奇跡的に重なりや、尊敬できる先輩や所員の方々に恵まれ、アルバイトの研修生として管理建築士までの期間を働かせて頂きました。
SANAAは多くのプロジェクトに向き合いながら、どのプロジェクトも徹底的に建築と向き合い、絶対に諦めない姿に、只々、感動しながら、自身にとって、今この時が、同時に、世界で一番、この上なく贅沢な建築と向き合い方であることを自覚しながら、SANAAの所員の方々とご一緒させて頂きました。
また、働きだしてすぐに、東日本大震災が起こり、NHKの職員の方々の献身的な職務への遂行に心を動かされましたし、SANAAでは「みんなの家」などのプロジェクトを通した建築家としての職能と使命にかかわったことは建築家としての指針のひとつになりました。
2012年、管理建築士の署名は齊藤祐子先生と妹島和世先生のお二方に頂き、7月4日の松田周作建築設計事務所の開設のすぐあと、有楽町での妹島和世さんの講演会の始まる前、奇跡的にエレベータに同乗することになり、お礼と開設のご報告ができました。
東日本大震災をSANAAで経験したこともあり、独立してから、建築家の社会貢献のひとつとして、応急危険度判定の講習を受けました。
5.大分と建築家
大分出身の建築家・吉武東里(1886-1945)が、国会議事堂の設計をして、私の曾祖父、太宰府の書家・宮小路康文(浩潮)が、国会議事堂の扁額を揮毫しました。
私の建築の原点は「余白の美」の書から「空間の美」の建築へ、大分の地に大きな縁を感じている次第です。
大分方々の多大なサポートや力添えを頂きながら、大分を建築家としての拠点とさせて頂きました。
大分は、世界的建築家・磯崎新氏の生誕の地でありますし、代表作のアートプラザは、建築界にとっての聖地です。
建築家・磯崎新さんのドキュメンタリー映画と言っても過言ではない「だれも知らない建築のはなし」の映画監督・石山友美さんと大分市美術館・菅章館長とのJIA主催のトークショーの開催に携われたのは自身にとっての財産です。
大分の文化度は美術分野だけでなく、建築においても極めて高く、大分の地を拠点に選ぶ建築家は少なくありません。
「ARTPLAZA U_40 建築家展」は若手建築家の登竜門となっておりまして、参加させて頂いております。
また、建築家の職能の研鑽のため、尊敬する大分の建築家お二人に推薦を頂き、日本建築家協会(JIA)の正会員(登録建築家)になりました。
現在、建築家の職能を通した社会貢献として、U_40出展者による「アートプラザ 建築キッズツアー」や、意匠設計の方(建築家)が中心の「リノベ塾」への参加、+Aとして、大分の建築文化の継承(発見・発掘)と、創出・発展に貢献のための公開講座(勉強会)「+A labo」の開催や、障碍者アートの展覧会「元気がでるアート!」の会場構成、自閉症啓発デー「Light it up blue」のアートグッズの販売会の会場構成、こどもの日の「コンパルこどもフェスタ2018」の「建築家ってどんな仕事?建築設計デザイン体験コーナー」などのお手伝いに参加しております。
また、熊本地震の折は、日本建築家協会(JIA)九州支部の大分地域会の会員として、熊本県立美術館で開催された無料建築相談や御船町の罹災証明の調査に3・4回、参加させて頂きました。
大分には、30年も続く 建築専門誌『おおいたの住まい情報誌 WISE』があります。
近頃、大変に嬉しく、ありがたいことに、建築家として、拠点を大分とした決断の時からの「WISEへの掲載」の夢が叶いました。
ご高覧を頂けましたら幸いです。
「建築家」という概念は、まだ、日本に誕生して、明治以降の100年あまりのことです。
まだまだ、日本に「建築」や「建築家」の概念が浸透したとはとても言いがたく、それ故に、世界的建築家・磯崎新氏の生誕の地・大分で、真に「建築」や「建築家」の概念が根付くことを心から願い、その可能性を信じております。
明治期に誕生する建築教育が現在も続く多くの日本人にとって、建設ではなく「建築」、建築士ではなく「建築家」、そんなことは大した問題ではないのかもしれません。
それでも、私は「建築家」の職能の研鑽や地位の向上、「建築家」の職能を通した社会貢献に人生をかけたいと思っています。
「建築家のいる世界は、建築家のいない世界より、遥かに豊かである」その信念のもと、日本建築家協会における社会貢献(奉仕)とともに、2720JapanO.K.ロータリーEクラブでの「建築家」という職能を通した奉仕ができればと思っております。
最後に、いつも自戒をもっていつも読み返す日本建築家協会九州支部大分地域会の言葉より
- 建築家は、自らの業務を通じて、先人が築いてきた社会的・文化的な資産を継承発展させ、地球環境をまもり、人間の幸福と文化の形成に貢献します。
- 建築家は、高度の専門技術と芸術的感性に基づく創造行為として、業務を行います。
- 建築家は、安全で安心できる快適な環境をつくることを目指します。
- 建築家は、依頼者と社会に対し責任を持って業務にあたります。
- 建築家は、たゆみない研錆によって能力を高め、自らの役割を全うします。
- 建築家は、品性をもって行動し、倫理を堅持します
公益社団法人日本建築家協会九州支部大分地域会|http://www.jia-9.org/oita/outline.html